【自己紹介】私が職人ではなく、父の広報担当な理由

2024/02/11

私は、物心がつく前から、
テーブルの上に白い画用紙と色鉛筆を置かれ
強制的に絵を描かされた影響で
父が職人になる上で
大切にしている素質の1つである

「絵を描く事」

が嫌いになってしまった為
紅型職人になる事はできませんでした。

その代わり、

紅型職人以外の事であれば、
何をやっても良いから
自由に楽しく生きなさい!

と言われて育って来ました。

そのおかげで、
自分でも自覚する程、
自由気ままに育ちました。

私が学生の頃は、
livedoorや、楽天、サイバーエージェントなど
ITバブルの絶頂期だったので
最初は、IT系の会社に就職します。

しかし、めちゃくちゃ忙しく、
厳しい環境だったにも関わらず
収入は思っていたよりも良くなかったと言う
理想と現実のギャップを感じ
半年で退職。

どうせ厳しい環境に見を置くのであれば
人生で買い物する内、
最も高額な商品と言う
厳しい環境に見をおいた方が
人間力も磨かれるだろうと考え
不動産売買営業の世界に飛び込みます。

ここまで聞くと
琉球紅型(伝統工芸)とは
全く関係の仕事環境で育って来た事が
お分かり頂けるのではないでしょうか。

そんな私にも転機が訪れます。

思った以上に長くなってしまった為
この転機につきましては
明日の記事で紹介いたしますので
どうぞ、お楽しみに♫