「琉球紅型・・・これ、なんて読むの?」

「くれないがた?べにがた?それ何?」

「びんがた・・・それってなんなの??」

思い返してみれば、
こんなことを、東京の友だちや観光客の方から、
いつも言われてきたので

「紅型って自分が思っている程、有名ではないんだ・・・」

というのが私が紅型の対する印象でした。

伝統工芸や沖縄の文化に詳しい人からすると、
琉球紅型(りゅうきゅうびんがた)は
世界に誇る伝統工芸ですが、
実際の所は、あまり多くの方には知られていないのかもしれません。

私の父は、紅型の魅力に取り憑かれ60年・・・
一生涯を紅型の創作活動に魂を注ぐ琉球紅型作家の一人です。
実は、沖縄に6名しか健在しない
沖縄県指定の無形文化財技能保持者で、
人間国宝の次にひかえている存在なんです。

紅型の創作活動に生涯を注ぐ父、
金城昌太郎の家に一人息子として生まれた私は

本来であれば紅型家系の2代目として
琉球紅型の技術を継承するはずでした。

しかし、私は父の意向により
琉球紅型に全く興味がわかないように育てられました。

だから私は、父の仕事に興味を湧く事はなかったし、
大人になる頃には父の仕事を

「大人の塗り絵」「大人の道楽」などと表現し
心の中では伝統工芸に対して、
皮肉に感じるようになっていました。

そんな、誰よりも紅型を敬遠していた私が、

「琉球紅型ってすごい、琉球紅型を伝えたい!この魅力を次世代へもっと伝えなければならない!!」

と、心変わりしてしまったのは、
たまたまふらっと立ち寄った展示会で、
父の作品を見たことが「きっかけ」でした。

たくさんの紅型作家の、作品が飾られている中で、
ひときわ、異彩を放った作品があり
言葉では表現しがたいエネルギーを放つ作品に、
私は吸い込まれました。

その作品こそ、私の父、金城昌太郎の作品だったのです。

その父の作品を目の当たりにしたことが、
私の紅型に対する価値観が180度変わった瞬間でした。

そして、

「なぜ、父はこのような作品を創る事ができたのか?」と、

とても気になり、私の頭の中は
いつもこの質問で支配されるようになりました。

自分の「こだわり」を貫き通すとは。

展示会から自宅に帰り、
すぐに私は父に質問しました。


私;なぜ、親父の作った紅型は、他の作家より魅力的に見えるの?

すると父は即答で

父:紅型の事は知らなくても良い。

と答えました。

それもそのはず、父は私に
紅型の事を一切話さないと決めているので

その秘訣を聞く事は、とてもムズカシかったです。

しかし、他の着物と全てにおいて明らかに違い
その衝撃を忘れる事ができなかった私は、
どうにか父のその秘訣を知るべく
過去に父が取材された雑誌をすべて読み漁ることにしました。

そこで感じた父の魂

「琉球王朝時代の紅型の美しさを表現する」と言う

自分自身の意思を貫く為への異常なまでの「こだわり」

この「こだわり」を貫き通す為に
少しでも自分が気に入らなかったら
完成した着物でも
ドラム缶で焼き捨てる程、

本当に自分が納得の言った作品だけを制作する姿勢は
私の中で父と言う存在を通り越し
伝統を受け継ぐものの生き様、
そして、それを継承した現代の職人として

一般常識をはるかに凌駕した
一人の漢(おとこ)
を感じました。

そして、このような姿勢で
伝統工芸と向き合っている父を

私はいつしか一人の職人として
尊敬するようになりました。

これらの体験を通して、
私はより父の作品や創作活動
そして考え方に魅力を感じるようになります。

それと同時に「父の作品を身にまといたい!!」と、
衝動にかきたてられ、
いてもたってもいられなくなり、
着用を試みましたが、琉球紅型は着物であり、
着用する場面が限られているので、気軽に身にまとうことは難しかったのです。

着物を普段着で着用するのは
ハードルが高いですよね。

「着れないのならば・・」

「日常的に持てる?着られる?何かを作ってみようかな?そうは言っても、モノづくりなどした事ない私に作れるのか?」

と考えた時に
私は父から紅型に興味がわかないように育てられた影響もあり
絵を描く才能もなく、
自分の絵に嫌悪感を感じる程の
クリエイティブ能力のなさです。

さらに、父から伝統技術を継承もしていないので
自分自身がどのような作品を作り出したいのか。
と言うアイディアも全く湧いてきませんでした。

しかし、父の貫き通した「生き様」に感動し
この感動を多くの人に伝えたい!と思い
どうにか、この「生き様」を表現できないか。と
悩み続けました。

30歳を超えるまで、
私は歴史や伝統工芸の興味に気づくことはなかったのですが、

その反面、
現代アートやファッション、車、デジタル製品など、
最先端の新しいモノが大好きでした。

「伝統工芸を何か形を変えて、新しい提案ができないか?」

こんなことを考えるようになり
日本全国の伝統工芸品を活用した新商品の事例を見たり
様々なプロダクトデザイナーや、
ものづくりにかかわるプロデューサーを

観察し続けました。

「あーでもない!こうでもない!」と
試行錯誤しているうちに
気づけば10年の歳月が経っていました。

そんなある日、
私のお気に入りのアロハシャツを見ていると、
何か気になりはじめ、
思わずアロハシャツのルーツを調べてみました。

その昔、日本からハワイに移住した先人達が、
着物を日常生活でも着用できるように制作したのが
「アロハシャツ」

海を渡った先人の魂に想いをはせると

「着物は日本の象徴」
「生まれ育った母国の事を忘れたくない」

そんなメッセージが伝わってきました。

「アロハシャツ」の歴史を知り
海を渡ってもなお、カタチを変え日本文化を継承した先人の想い。

カタチを変え継承する伝統が、
父の琉球紅型と私の想いと重なりました。

・着物=琉球紅型
・沖縄=ハワイ
・着物がアロハシャツとして生まれ変わる=紅型がアロハシャツとして生まれ変わる


父が貫き通した紅型職人としての「生き様」は、
日本人が貫き通した着物文化と通ずるものがあり

日本の南国である沖縄、
そして琉球紅型、時代を超えて継承する。

すべてが私に中で一致することとなりました。

琉球紅型の魅力をオシャレに着用できるアロハシャツが完成しました!

父が貫き通した「琉球王朝時代へのこだわり」と
世代を超えて「継承されつづける魅力」を
今回のアロハシャツを通して表現しております。

1.琉球藍染

父は、琉球王朝時代の紅型には

「時を重ねるごとに深みがます美しさがある。」

そして、紅型がなぜ、鮮やかなのに上品に感じる
その一番の理由は
【天然染料】を使っているから。

と工房を訪れる紅型職人の後輩達に必ず話します。

琉球藍は、400年以上前の琉球王朝時代から栽培されており、
その原料は、キツネノマゴ科の多年草植物です。

琉球藍に使われる植物(キツネノマゴ科)は、
120センチほどに育ったら刈り取り、
窯に入れ雨水を注ぎ3,4日自然発酵させます。

発酵した水に石灰を入れ、
泥藍に泥藍に水と泡盛、灰汁などを混ぜて藍建て(染めれる状態)にします。

琉球藍の魅力は、深い藍色の中に、どことなく温かみのある赤味を感じられる所ではないでしょうか。

また、藍染めは、染める回数によって水色から黒に近い濃紺まで、様々な色を表現する事ができます。
Shoutarou Bingata NAHAでは、
藍色らしさを感じつつも経年変化をより感じて頂けるように
5〜6回染めて「紺色」に仕上げております。

2.琉球王朝時代から続く伝統の古典柄

紅型職人である父は、工房に訪れるお客様に
紅型のすべての柄には制作者の想いが込められているので
紅型を見る際には

この柄には、どんな想いが込められているんだろう。と
考えながら見ると、紅型がもっと楽しくなりますよ。

と話しております。

私には紅型の事を話さない分、
工房に来店されるお客様には
少年のような眼差しで
とても楽しそうに琉球紅型の事について
話をします。

紅型についてお客様と話している父の笑顔を見る度に
本当に紅型が好きなんだな。と感じます。

私は父のように楽しそうに紅型の事を語る事はできないので
沖縄版アロハシャツでは
柄に込められた想いがひと目でわかるように表現しております。

そして今回、
私が父の想いを受け継ぎ
琉球紅型の魅力を次世代に繋ぐ為に制作した
沖縄版アロハシャツがRyukyu Stripe 藍です。

色は、父が琉球紅型の魅力として
大切にしている天然染料を使用し
天然染料の中でも

「時を重ねるごとに深みがます美しさ」

を感じられやすい【藍染】を選びました。

さらに、琉球らしさを感じて頂く為に
琉球藍で染めております。

そして「柄」には、
琉球らしさを感じて頂く為に

琉球王朝時代の古典柄である

・稲妻→ 困難を切り裂く
・松 → 不老長寿
・竹 → 成長
・梅 → 強さ
・鶴 → 幸福
・亀 → 財福

文様をモチーフにしております。

デザイン元は、
父の職人としての大切にしている「型紙」の技術を感じて頂く為に

父が制作した稲妻松竹梅鶴亀文様の型紙を使用しております。

さらに、この柄に込められた先人達の想いを
わかりやすく表現する為に
稲妻文様を全面に表現して
縦ストライプに見えるようにしました。

稲妻文様に込められた意味は

【困難を切り開き、真っ直ぐ成長して欲しい】

琉球王朝時代の先人達が
多くの困難を切り開き、
現代があるように 
「どんな困難にも諦めずに切り開いて欲しい」
と言う想いをこのシャツに込めました。

 

琉球王朝時代の美しさをオシャレに着用できるアロハシャツとは。

Shoutarou Binagata NAHAオリジナルアロハシャツは
黒いパンツに合わせる事で
簡単にON用としても
OFF用としても着用する事ができます。

M・L・XL / 3サイズ展開
Mサイズ:肩幅 約46cm / 身幅 約62cm / 袖丈 約56cm / 前着丈 約59cm / 後着丈 約72cm
Lサイズ:肩幅 約48cm / 身幅 約65cm / 袖丈 約57cm / 前着丈 約62cm / 後着丈 約75cm
XLサイズ:肩幅 約50cm / 身幅 約67cm / 袖丈 約58cm / 前着丈 約65cm / 後着丈 約77cm
※着用モデル:175cm / 62kgでXLサイズ着用

昨年、1ヶ月で完売した「琉球紅型×琉球藍染シャツ」の特徴

1.生地:着心地、肌触りを重視して、天然素材のテンセルを使用しております。高級シャツにも使用される肌触りがテロッとした素材です。

 

2.染め:琉球紅型の複雑で細かい柄を美しく表現する為に、京都の100年以上続く老舗の染工場で「手捺染」と呼ばれる技法で染めています。その後、さらに琉球藍で染めております。

 

3.柄合わせ:紅型の美しい柄の魅力をしっかり表現する為に、生地を贅沢に用いて、前身頃、ポケットはしっかり柄合わせをしております。


4.シャツデザイン:後姿でも、より柄が映えるように後身頃は1枚の生地で制作しております。

 

5.型紙:今回のデザインのモチーフになっている稲妻松竹梅鶴亀文様の型紙は、沖縄県指定無形文化財技能である金城昌太郎が制作した型紙になります。

シャツの縫製は、沖縄の縫製職人が1着1着、丁寧に縫い上げています。
染めは、沖縄の熟練された琉球藍染の職人が1枚1枚、手作業で染めています。

完全に沖縄での生産にこだわり品質を維持しています。
そのため少量生産で、30着限定の販売となっております。

Shoutarou Bingata NAHA
プロデューサー

金城昌之(息子)の想い

ここまでお読みになって頂き
ありがとうございます。

はじめまして。
Shoutarou Bingata NAHAのアロハシャツを手掛けた
金城昌之です。

「こだわり抜いた想いはきっと誰かに伝わる」

私は琉球紅型職人にはなれなかったので
伝統の技術を受け継ぐ事はできませんが

父が大切にしてきた「想い」と「伝統」を
「琉球アロハシャツ」という新しいカタチで表現する事ができました。

私のように才能を受け継がなかった方や、
何か困難にぶつかって迷走している方が
日本にも世界中にもたくさんいらっしゃると思います。

そのような方たちに、
このシャツの誕生秘話や、
シャツに込めた「想い」が、
あなたに勇気を与えるきっかけになれば嬉しいです。

この琉球アロハシャツには、
琉球王朝時代の職人たちと
現代の継承者たちの想いを繋ぐ為に制作しました。

そして、そこにあなたの想いを融合して、
あなたの子供の代へ継承するような
「現代のヴィンテージ」アロハシャツとして、
経年変化を楽しみながら、
大切に着用していただければ幸いです。

私のストーリーを最後まで
お読み頂きまして、誠にありがとうございます。

Shoutarou Bingata NAHA
代表 金城昌之