69年前、紅型職人を目指す人は、ほとんどいなかった!?

2024/06/21

こんにちは。
Shoutarou Bingata NAHAの金城です。

本日は、工房見学にお越し頂いた方に
父が話しをしている音声を元に編集したショート動画を紹介します。

今から69年前(戦後)
紅型職人である父、金城昌太郎が中学3年生の時に
担任の先生から言われた

「沖縄には、世界に誇れる工芸がある。

しかし、
この戦争で沖縄が大切にしてきた
紅型や織物、陶器、漆器の伝統工芸が
今回の戦争で、
すべて焼き尽くされた。

生き残ったもので力を合わせて
復興させようと思う。

郷土の工芸のために
一生の仕事として
尽くす気のある者はいないか?

地味な仕事で、
これから復興させるのだから
一人前になるには10年以上はかかる。

だが、将来性のある仕事だ。」

がきっかけで、紅型職人を目指しました。

しかし、父と同じように
紅型職人を目指そう!と思ったのは
だれもいなく、
中学卒業と同時に職人を目指したのは
父、1人だけだったそうです。

工房見学に来られた方も
この回答にはビックリで

「正直、もっといると思った。」

との事でした。

紅型職人である父、曰く

職人になっても
食べていけるか不安だったので
やろう!と思う人は少なかったのではないか。

と語っております。

詳しくは、下記のショート動画にて
父の肉声で語っておりますので
ぜひ、ご覧ください。

そして、あなたの胸に響く事がありましたら
ぜひ、あなたのSNSでシェアして頂けたら嬉しいです。

金城昌太郎びんがた工房の工房見学では
作品に纏わるエピソードだけではなく
このような父の職人になるまでのエピソードもお聞き頂く事ができます。

1日1組限定
工房見学のご予約はこちらから
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